十和田市議会 2022-09-08 09月08日-一般質問-03号
日本の歴史によりますと、人口は奈良時代約550万人、平安時代約644万人、今ドラマで放映している「鎌倉殿の13人」の頃は約754万人、室町時代は約818万人、1868年の明治維新では3,330万人と言われています。
日本の歴史によりますと、人口は奈良時代約550万人、平安時代約644万人、今ドラマで放映している「鎌倉殿の13人」の頃は約754万人、室町時代は約818万人、1868年の明治維新では3,330万人と言われています。
これを見ますと、研究の歩みや発掘等に携わった多くの方々の御紹介、そして縄文遺跡から弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代以降としてまとめておられます。この研究を庶民の生活や歴史の背景などとあわせて深めることができないものかと考えるものです。 そこで2点目として、縄文遺跡との歴史のつながり、そしてその研究についての御所見をお伺いしたいと思います。
土地や山を誰かが所有するという考えはなく、みんなのものとして活用していましたが、ある人に聞いたら奈良時代あたりから地域の権力者や寺や神社などが土地を支配するようになったとのことです。 やがて明治になり、政治体制が新しくなると、土地の所有権が確立され、それと前後して入会する権利と書く入会権ができ、財産区の制度ができました。
日本では約1300年前に奈良時代の平城京に下水渠がつくられ、その後コレラの流行もあって、1884年には東京の神田に汚水排除も含めた近代の下水道が誕生したとされます。 さて、八戸市の公共下水道事業は、合流式を採用した基本設計の策定により、1956年度から小中野地区約60ヘクタールの事業に着手したとされます。
江戸時代でも、奈良時代でも、たばこは吸っております。そういう意味でも、たばこはきちんとマナーを守りながら吸っていけば別にいいのではないかと私は思っております。ところが、実際には分煙、分煙と言いながら分煙が中途半端な面がありまして、例えばこの議会棟の裏の休息所に喫煙所と札が張ってあります。あそこでだれかがたばこを吸っていたら、その煙の中を通りながら議員たちが議場に入らなければいけない。
奈良時代には遣唐使に随行して留学僧、留学生が派遣され、また、唐から学者、学僧が来ます。明法道、文章道の学習、研究がなされます。平安時代には漢文学が発達し、多くの詩文集が編さんされ、片仮名がつくられ、和歌和文が発達してまいり、鎌倉時代には、日本文学が自覚され始め、教育に反映されます。寺院、学者の私邸、家庭での教育が行われます。
例えば縄文時代では、是川遺跡、長七谷地遺跡などの著名な史跡があり、古代では私が住まいをさせていただいております八戸ニュータウン内に奈良時代の丹後平古墳があり、ここからは獅噛式三累環頭大刀と名づけられている刀が出土しており、古代の朝鮮半島との文化交流を物語るものとなっております。また、中世には史跡根城が、近世には八戸城などがあります。
丹後平古墳群は八戸ニュータウン内にある白山浄水場近くに位置し、主に飛鳥時代から奈良時代の円墳で、100基以上の群集墳と考えられており、現在の静岡県産の陶器、出雲や神戸周辺で制作されたと思われる勾玉やガラス玉など玉類、すず製の釧、刀類など副葬品がたくさん発見されております。
私の持論は、前にもお話を申し述べさせていただいたとおり、三内丸山遺跡は縄文の前期で、是川遺跡は縄文の後期で、私が住んでいるニュータウンには丹後平遺跡がございまして、これは奈良時代です。下に下がって根城史跡は南北朝と。私は立派な遺跡街道を形成することができると思っております。したがいまして、その中核をなすのは当然是川遺跡だと思っておりますので、これは多少お金をかけても頑張ってやっていただきたい。
これらが整備されるならば、縄文時代から弥生時代初めの是川遺跡、古墳時代から奈良時代の丹後平古墳、南北朝時代の根城の順に、そして藩政時代の八戸南部の歴史、その歴史の移り変わりを年代を追って訪ね歩くことが可能となるのであります。したがいまして、これら3遺跡は将来的に連携しながら相乗効果を生むような構想を基本に整備計画を策定していく必要があると考えております。
日の丸のルーツは、奈良時代に日、月を形どった旗がつくられたりし、源平の合戦で日の丸の図案をあらわした扇がつくられました。徳川時代には、外国船と区別するために日本の船に日の丸を掲げるなどしてきたが、あの侵略戦争のときには、侵略の旗印、日章旗として使われました。私も、この日の丸を持って、何の批判なく中支派遣軍の一員として侵略戦争に参加しました。